Ontario Style Special Contents Vol.6 トラベル・ライターヨシザワのオンタリオ取材ウラ話 Vol.2

オンタリオに20年以上通い続けるトラベルライターのヨシザワです。
広大な原野をドライブし、ふと目にとまった風景や小さな店に立ち寄ってみる、そんな気ままな旅が気に入っています。行き当たりばったりに動いても、新鮮な出会いや驚きがあるのがオンタリオ州の魅力。この特集ではそうした思いがけない発見や出会いを中心に、取材エピソードや各地にまつわるウラ話をご紹介します。

カナダにある「アンクル・トムの小屋」

オンタリオ州に逃れたアンクル・トムのモデル

ストウ夫人の有名な小説「アンクル・トムの小屋」。その主人公アンクル・トムは、実はカナダにいたという事実をご存じでしょうか。 「アンクル・トムの小屋」は、アメリカの奴隷制度の時代、物のように売り買いされ、虐待された黒人奴隷トムの生涯を描いた物語。1851年に反奴隷制グループの機関誌に掲載されるや話題を呼び、翌年には単行本化され、1年間に30万部以上を売るベストセラーとなりました。この本がアメリカの奴隷制度廃止運動に与えた影響は非常に大きく、南北戦争の引き金にもなったといわれるほど。戦争中リンカーン大統領はストウ夫人と会い「この戦争を引き起こしたご婦人」と言ったとか。「アンクル・トムの小屋」はそれほどに世の中を動かす力をもっていた小説だったのです。
日本でも100年以上も前に翻訳されて以来、長年にわたり多くの人に愛読されてきた物語ですが、主人公アンクル・トムのモデルとなった人物は、意外にもカナダでその後生を送っていました。ジョサイア・ヘンソンという男性がその人。彼は1830年、奴隷制度のアメリカからカナダに逃れ、オンタリオ州南部、ウィンザーの近くにある町ドレスデンに定住しました。後に彼から奴隷時代の話を聞いたストウ夫人が、それを元に書いた物が「アンクル・トムの小屋」だったのです。
ドレスデンの史跡「アンクル・トムズ・キャビン」については旅のカタチ、ウィンザーの中でもふれていますが、ここではもう少し詳しく、ジョサイア・ヘンソンと、反奴隷制運動にカナダが果たした役割についてご紹介したいと思います。

アンクル・トムのモデルとなったジョサイア・ヘンソン(アンクル・トムズ・キャビン博物館展示のポートレイト)

ストウ夫人の序文が寄せられたヘンソンのサイン入り自伝

カナダに逃れ、黒人たちの指導者となったヘンソン

1789年、メリーランド州で生まれたヘンソンは、幼い頃から奴隷としてタバコ農場で過酷な労働を強いられてきました。仕事をするあいまに教会から漏れてくる牧師の説教を聞き、独学で学習をし、敬虔なキリスト教徒となったヘンソンは、その信仰心により雇い主の心も動かして牧師に任命されるなど、一時は自由への希望をつなぎます。しかし結局願いは叶わず、より過酷な状況の南部に売られることになり、落胆したヘンソンとその家族は、自由を求め奴隷制のないカナダへと逃亡します。1830年、ヘンソンが37才の時のことでした。
無事カナダに逃れたヘンソンは、指導力を発揮。同じ境遇の逃亡者達を手助けする一方、オンタリオ州ドレスデンに仲間とともに200エーカーの土地を購入し、職業訓練所や製材所、製粉所などを開き、黒人達の自立を支援、また地位向上のために尽力します。
ストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」により有名になったヘンソンは、後に英国カンタベリー大司教の招きも受けています。才気あふれるヘンソンに、司教は「どこの大学を出ているのか」と質問。ヘンソンは「逆境という大学です」と答え、その半生をつぶさに語り、司教をも号泣させたといいいます。

史跡のマネージャー、スティーブ・クックさんは、カナダに逃れて定住した人々の5代目の末裔

ドレスデンの史跡アンクル・トムズ・キャビンにあるヘンソンの家。このほか人々が集った教会や製材所、資料を集めた博物館も公開されています

奴隷解放運動のネットワーク「アンダーグラウンド・レイルロード」

18世紀、アメリカでは50万人以上の奴隷が売り買いされていました。悲惨な生活を強いられた彼らが、自由と希望の土地として憧れたのが、北のイギリス領アッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)でした。ここでは1793年に奴隷貿易は禁止され、1830年までには奴隷制度は完全に廃止されていたためです。多くの奴隷が、ヘンソンと同様に雇い主から逃れてこの北の地を目指しました。そしてそんな人々を助けるため、反奴隷制の運動家たちによる秘密組織「アンダーグラウンド・レイルロード」(地下鉄道)も生まれました。もちろん実際に鉄道があったわけではなく、黒人奴隷達を北に逃がすための闇のルートのようなものがこう呼ばれたのです。
 彼らは、街から街へ奴隷達を安全に逃亡させるため、様々な鉄道用語を暗号として使いました。たとえば逃亡させる黒人は総称「荷物」、女性の場合は「乾物」、男性は「金属」、各地での隠れ家は「駅」、駅から駅へと送る人は「車掌」、そして目的地のカナダは「北極星」といった具合です。
 1865年にアメリカの奴隷制度が廃止されるまで、アンダーグラウンド・レイルロードの協力により、約5万人の黒人奴隷がカナダに逃れたと言われます。ジョサイア・ヘンソンも、その一人だったのです。

ウィンザーにある像が描くのは、国境を越えてカナダに到着した人々の喜び

アンクル・トムズ・キャビンの博物館にもアンダーグラウンド・レイルロードに関する展示が充実

ウィンザー周辺に伸びる、自由と人権を伝えるルート

アメリカ国境を越えてすぐのところにあるウィンザーやナイアガラ地域などオンタリオ州南部一帯は、アンダーグラウンド・レイルロードの終着点として、多くの黒人奴隷が目指した場所です。たとえばウィンザー周辺だけでも、アンクル・トムズ・キャビンをはじめ、逃れてきた黒人達が最初に建てた教会ファースト・バプティスト・チャーチなど、彼らの足跡を伝える史跡や博物館が点在。それらをつないで「アフリカン・カナディアン・ヘリテージ・ツアー」という史跡探訪ルートも伸びています。観光地としてはあまり知られておらず、旅行者もあまり訪れないエリアですが、知られざるカナダの歴史に出会うことができる、大変興味深いルートです。

史跡をつないで伸びる「アフリカン・カナディアン・ヘリテージ・ツアー」のサイン

ウィンザー郊外にあるファースト・バプティスト・チャーチ