Ontario Style Special Contents Vol.14 トラベル・ライターヨシザワのオンタリオ取材ウラ話 Vol.4

オンタリオに20年以上通い続けるトラベル・ライターのヨシザワです。
広大な原野をドライブし、ふと目にとまった風景や小さな店に立ち寄ってみる、そんな気ままな旅が気に入っています。行き当たりばったりに動いても、新鮮な出会いや驚きがあるのがオンタリオ州の魅力。
この特集ではそうした思いがけない発見や出会いを中心に、取材エピソードや各地にまつわるウラ話をご紹介します。

首都オタワにまつわる、ちょっと面白いカナダ史

雄大なオタワ川のほとり、ネオゴシック様式の国会議事堂を中心に広がるオタワの街。いたるところに緑があふれ、その中に歴史的な建物が点在するここは、全体が公園のように整えられ、「世界でもっとも美しい首都」のひとつにもあげられています。
このオタワがカナダの首都となったのは、1857年のこと。イギリスのビクトリア女王によって選定されました。けれどそれ以前のオタワは、ランバージャック(木材作業員)が集まる荒っぽい田舎町だったといいます。今回は、そんな片田舎が首都に選ばれるまでの、カナダの歴史の一端をちょっとマジメにご紹介しましょう。

オタワ川を見下ろして聳える国会議事堂

夏の間、国会議事堂前では衛兵交代式も行われる

イギリス系とフランス系が対立した植民地時代

大航海時代以降、現在のカナダ東部はフランスとイギリスによって開拓され、多くの移民がおしよせました。やがて両国の領土争いがおこり、結果、18世紀にイギリスが勝利。イギリス系住民が多く住む「アッパー・カナダ」(現在のオンタリオ州)とフランス系住民が多く住む「ローワー・カナダ」(現在のケベック州)ともに、イギリス領となりました。
1841年には、アッパー・カナダとローワー・カナダの両州をひとつにし、植民地内で独自の議会と政府を持つ「連合カナダ」が成立しますが、大きな問題は、主流派のイギリス系と圧迫されるフランス系という不均衡の構図があったこと。双方の間ではしばしば対立が起こり、このため連合カナダの首都も、数年おきに両州の間を行ったりきたりするという有様でした。

カナダ史を詳しく知るなら国立文明博物館へ

リドー運河やオタワの歴史がわかるバイタウン博物館

誰も予想しなかったダークホース、オタワ登場

この不安定な状態を見かねたビクトリア女王が、1857年に新たな首都に選定したのがオタワでした。ここは、アッパー・カナダとローワー・カナダを分けて流れるオタワ川のほとりにある街。両州に公平な位置に全く新しく首都を建設するという、至極シンプルで合理的な発想による決定でした。とはいえ、当時ここはただの片田舎。リドー運河の北の起点として街づくりが行われたばかりで、住民の多くは荒くれ者のランバージャックたちでした。そんな場所を首都に定めたとあり、当初の評判はさんざんなものだったようです。「ビクトリア女王のきまぐれ」「もっとも北極に近い木材村の首都」などと陰口が叩かれたといいます。

オタワ川を渡って二つの州を結ぶ
アレキサンダー橋

川の対岸ケベック州ガティノーも首都圏として整備

アメリカからの攻撃を避けるためにも

ところで、ビクトリア女王が首都をオタワに定めたのには、もう一つ大きな理由がありました。それは、アメリカからの攻撃を避けられる立地です。当時アメリカは、常に北への侵攻を狙っており、連合カナダにとって、それは大きな脅威でした。ところがそれまでの首都はいずれもアメリカ国境となるセント・ローレンス川やオンタリオ湖のほとりにあり、大変危険だったのです。新しい首都は国境から離れた場所にする必要があり、その点でもオタワは理想的だったわけです。

オタワとキングストンを結ぶリドー運河もアメリカからの攻撃を避けるために建設された水路

カナダ建国、そして首都圏の建設

1867年、連合カナダは、アメリカからの攻撃にさらに対抗するため、大西洋岸に分散していた植民地ノバ・スコシアとニュー・ブランズウィックを統合。カナダ建国が果たされます。オタワも一国の首都となり、オタワ川の対岸、ケベック州ガティノーの街とともに首都圏として、計画的な街づくりが行われてきました。
ダウンタウンを流れるリドー運河沿いの遊歩道、議事堂を中心とした壮麗なパーラメント・ヒル、そして夜まで賑わう市場バイワード・マーケット・・・。ビクトリア女王が、今のこの美しい街の様子を見たら、さぞかし自慢に思ったことでしょう。

首都になる前から続くバイワード・マーケット

議事堂では様々なショーやイベントも開催