Ontario Style Special Contents Vol.36 トラベル・ライター吉沢博子の取材こぼれ話 ウイスキーがもっと美味しく、楽しく飲める! カナディアンクラブ誕生秘話

お酒好きなライター、ヨシザワです。今回はカナディアン・ウイスキーの代名詞「カナディアンクラブ(CC)」のお話です。
カナダ最南端の街、オンタリオ州ウィンザーはCC発祥の地。150年以上前、創業者ハイラム・ウォーカーはここに蒸溜所を建て、北米有数のウイスキー王国を築きました。禁酒法時代も乗り切り、世界中で愛飲されるようになったCCのユニークな歴史は、今も当時のままの姿で残る本社跡「ブランドセンター」のツアーで見ることができます。まるで映画の1シーンのようなスリリングな逸話もいっぱい。ウイスキーを飲みながら、ちょっと披露したくなるようなウンチク、オモシロイお話をご紹介しましょう。

先を見越し、カナダに渡ったハイラム・ウォーカー

創業者のハイラム・ウォーカーは、1816年、アメリカのボストン郊外で生まれました。20歳のとき、当時の若者のはやりだった「西部への旅」に出て、そのままデトロイトに落ち着きます。ここでウォーカーは様々な職業を経験。ほどなく生まれもった商才を発揮し、食料品店をチェーン展開して成功しました。やがて、彼はオリジナルウイスキーを造って売ることを考えます。そして北米やヨーロッパを旅しながら各地のウイスキーを研究。新たなビジネスの下地作りを始めます。

そして40歳のとき、満を持してウォーカーが動きます。それまで持っていたデトロイトのビジネスを全て売り払い、デトロイト川の対岸、カナダ・ウィンザーに広大な土地を購入。そして1858年、ここに念願の蒸溜所を完成させました。
当時、アメリカではキリスト教団体などを中心に禁酒法運動が盛んになっており、いくつかの州では実際にお酒の製造や販売ができなくなっていました。やがてこの動きがアメリカ全土に広がると見越したウォーカーは、カナダでお酒を造るビジネスに賭けたわけです。

川のほとりに広がるウィンザー。対岸はアメリカ・デトロイト

ブランドセンターの中、当時のままに残されたウォーカーの執務室

創業者ハイラム・ウォーカー

バーボン業者のバッシングによりさらに人気に!

ウォーカーの蒸溜所では、30種類以上のお酒が造られていましたが、その中でよく売れたのが「クラブ・ウイスキー」というブランドでした。カナダの穀物を使い、独自ブレンドで長時間熟成させたこのお酒は、そのスムースなおいしさのため、アメリカの上流階級の社交場「ジェントルメンズ・クラブ」などで、大変もてはやされました。“クラブ”という名前も、ここからとってウォーカー自ら付けたもの。彼は、ウイスキーの名前には地名や人名をつけるのが一般的だった時代に、ブランディングもかなり重要視するという、今風のビジネスマンだったようです。

ところがアメリカでクラブ・ウイスキーの人気が高まると、それに危機感を感じたケンタッキーのバーボン業者などが政府に圧力をかけます。その結果、外国産のお酒を判別できるよう明記するという法律が制定され、これにより、クラブ・ウイスキーは「カナディアンクラブ・ウイスキー」と変更することに。バーボン業者は名前にカナダと入れることで売れなくなると期待したのですが、実際にはむしろ前以上に売れ、世界でも飲まれるヒット商品となったのでした。

創業当時からの歴代のボトルも展示。ちなみにウイスキーがボトルで売られるようになったのは1883年、
CCをはじめとするカナダの業者から。それ以前は、ほとんどが樽売りでした

コピー商品のオンパレード

カナディアンクラブが人気となるにつれ、かなり怪しいコピー商品も出回るようになります。ボトルのラベルも書体もほとんど同じで、一見違いがわからないようなまがい品が何十本と造られました。
たとえば「Canadian Clan」「Centre Club」「Canadian Type」…
中にはかなりの粗悪品もあったようで、飲んで体調を壊す人も。当時カナディアンクラブではこの対策専用の社員を雇うほどに、深刻な問題だったようです。

一見CCにしか見えないコピー商品の数々

地下室で商談が行われた禁酒法時代

ウォーカーは、1899年に83歳で亡くなりましたが、その後、彼が予測していた禁酒法の時代が訪れます。1919年から1933年にかけ、アメリカ全土でお酒の製造、販売、輸送などができなくなったのです。

とはいえ、この法律はかなり緩かった模様。取り締まりは徹底しておらず、また飲酒自体は禁止されていないなど、実は穴だらけ。結果、アル・カポネなどギャングが密造酒や密輸酒を求めて暗躍。シカゴやニューヨークには、モグリながらも以前以上に酒場が増えたといいます。

当時、カナダでは禁酒法はなく、もちろん製造は合法。このため、カナダで造ってアメリカで売るという仕組みができ、ウィンザーの川沿いにはアメリカ向けのウイスキーの蒸溜所が急増しました。
そんな中、ギャングたちがこぞって手に入れようとしたのが、大人気のカナディアンクラブです。彼らは本社にある正規の取引事務所でなく地下室を訪れ、こっそりと(=Speakeasy)商談をしました。やがてこの地下室は「スピークイージー・ルーム」と呼ばれるようになり、また今使われているモグリの酒場「スピークイージー」の語源にもなりました。

ギャングとの密談に使われたスピークイージー・ルーム

部屋の片隅にはアル・カポネの写真も

スカートの中に隠されたブートレッグ・ボトル

禁酒法時代には、密輸のための様々な方法も考案されました。ボトルの改良もそのひとつ。カナディアンクラブでも、従来の丸く首の長いボトルから、平たくて首の短いスキットルタイプのボトルを採用。ケースの中になるべく隙間なく詰め込むことができるこの形にすることで、一度にたくさん効率的に、そして破損も少なく輸送できるというわけです。

面白いのは、このスキットルタイプのボトルが、密輸業者の中ではさらに一歩進んで利用されていたことです。平たくほどよい曲線があるこのボトルが、体の線にも無理なく沿うことに目を付け、たとえばブーツの中に隠して運んだり、女性のコートやスカートの下、おなかや足に巻きつけて運んだり。ブーツに隠したボトルは、やがてBootleg Bottleと呼ばれるようになり、これも今では密輸品やCDなどの海賊版をさす「ブートレッグ」の語源となりました。

オリジナルのボトル(右)から輸送しやすいスキットルタイプへ

スカートやコートの下に隠し持つなど様々な密輸方法を考案

従業員のために作った街、ウォーカービル

ウィンザーに蒸溜所を造って成功したウォーカーですが、彼は蒸溜所と合わせてひとつの街まで造ってしまいました。それは従業員が暮らすための街“ウォーカービル”で、消防署や警察署まであったといいます。ダウンタウンの東側、ブランドセンターのある一帯は、今もウォーカービルと呼ばれ、高級住宅街として残っています。その中にあるウィルステッド・パークには、ウォーカーの息子エドワードの邸宅も残されています。

ウォーカービルに残るエドワード・ウォーカーの邸宅跡「ウィルステッド・マナー」

カナディアンクラブ・ブランドセンターのツアー

1858年建造のブランドセンター(旧本社跡)内にあるハイラム・ウォーカーの執務室や、ギャングとの密談が行われた地下室、そして様々な展示物が見学可能。ショートフィルムの上映、ウイスキーのテイスティング、そしてお土産つき。

【ツアースケジュール】

5〜12月 水〜土曜12:00、14:00、16:00、日曜12:00、14:00、月〜火曜休館
1〜4月 15人以上のグループのみ予約受付